2002年12月4日-1
いよいよ皆既日食当日です。日食は夕方なので午前中は昔の

ロケット打ち上げ場を見学に行きました。同行の天文学者Kerrie

博士は、実際に観測ロケット打ち上げに携わっていた人です。

今は取り払われたゲートガードのところにはロケットと打ち上げ台が

飾られています。そこを通って外に出るとすでに日食観測のために

各地から集まってきた人たちがテントを連ねておりました。

こちらは雲一つない100%の快晴です。ほとんどの人が観測に

集まったというセデューナは曇りだそうで、中には急遽こちらに

移動を開始した人たちもいるそうで、普段静かなこの町も一挙に

人口7000人に膨れ上がったそうです。

延々と続くテントの列を過ぎてさらに行くとなぜかTOYOTAの

看板が・・ここは小さな車の修理工場で、ここのおじさんがガイドを

兼ねています。そのガイドのおじさんを乗せて、バスはさらに進んで

行きます。説明によると、これから見学する打ち上げ場の跡では、

日本も共同研究に参加して何度か大気圏観測ロケットを打ち上

げたそうです。当時は40人ほどの技術者が来ていましたが、現在

4人を残し、皆帰国したそうです。今は自動着陸装置の研究をして

いるそうです。さかんにロケットが打ち上げられていたのは1950

年代後半から1960年代だそうで、1970年代に入ってからイギリスや

フランスの撤退もあり、アメリカの衛星、ミサイル追跡基地ができた

ものの、そのアメリカも撤退した後は存在価値が急速に下がり、

ほとんどの施設を閉鎖することになりました。

有効利用の声もあったようですが、軍事上の理由から完全に破壊

され、まったく使えない状態にされたのです。しかし、現在まだ実際

に研究が行なわれている施設がごく一部残っているため、この地域

への出入りは厳重な規制が敷かれています。

ロケット打ち上げ場跡へ行く道路の入り口には銃を構えた兵士が

立っており、許可証を調べ、バスの乗客の人数を確認した上で

ようやくゲートが開きました。

そこからはるかかなたに点のように何かが立っている場所まで

30分ほどかかったでしょうか、近づくとそれがロケット発射台で

あることがわかりました。形が残っているのはここだけだそうです。

左側の小さな発射台は日本が打ち上げに使ったものです。

この下に大きな地下室があって、そこに大型の発電機や機器類が

設置されていました。しかし、どれもすべて破壊されており、床の

上には一面にカンガルーの糞が散らばっていました。

ガイドのおじさんが、「高い金使って、カンガルー用のアパート

建てたようなもんですなぁ」と言っておりました。打ち上げに

携わっていたKerrie博士は、紫外線の研究など優れた

データを取っていたのに、それも軍事機密として扱われ、

行方がわからないと嘆いていらっしゃいました。

おじいちゃんは一人目を輝かせ、「おお、いい機械が

いっぱいあるある!」とあちこち覗きまわっていました。

エンジニアだったので、今では実用価値はないけど、骨董

価値のあるものがごろごろしているというのです。でも、持って

帰ることはできないから眺めて写真を撮るだけです。

おじいちゃんは何度も名残惜しそうに振り返りながらここを

後にしました。その後、人工衛星の打ち上げにも使われた

最大のロケット発射台跡に行きました。あの、塩湖の北端に

そのロケット発射台は作られていました。谷の底から上まで

10階建てほどの高さがあるでしょうか。ロケットを運ぶレール

やコントロールルームの一部がかろうじて形をとどめて

いました。ここはミサイル発射実験も行なわれていたので

なおのこと徹底的に破壊されたのです。

みんなでその発射台跡の反対側の崖の縁に集まり、その

発射台跡を背景に記念写真を撮りました。

おじいちゃんが「つわもの共の夢の跡かなぁ」とつぶやきました。

(続く)


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理