いよいよ皆既日食当日です。日食は夕方なので午前中は昔の
ロケット打ち上げ場を見学に行きました。同行の天文学者Kerrie
博士は、実際に観測ロケット打ち上げに携わっていた人です。
今は取り払われたゲートガードのところにはロケットと打ち上げ台が
飾られています。そこを通って外に出るとすでに日食観測のために
各地から集まってきた人たちがテントを連ねておりました。
こちらは雲一つない100%の快晴です。ほとんどの人が観測に
集まったというセデューナは曇りだそうで、中には急遽こちらに
移動を開始した人たちもいるそうで、普段静かなこの町も一挙に
人口7000人に膨れ上がったそうです。
延々と続くテントの列を過ぎてさらに行くとなぜかTOYOTAの
看板が・・ここは小さな車の修理工場で、ここのおじさんがガイドを
兼ねています。そのガイドのおじさんを乗せて、バスはさらに進んで
行きます。説明によると、これから見学する打ち上げ場の跡では、
日本も共同研究に参加して何度か大気圏観測ロケットを打ち上
げたそうです。当時は40人ほどの技術者が来ていましたが、現在
4人を残し、皆帰国したそうです。今は自動着陸装置の研究をして
いるそうです。さかんにロケットが打ち上げられていたのは1950
年代後半から1960年代だそうで、1970年代に入ってからイギリスや
フランスの撤退もあり、アメリカの衛星、ミサイル追跡基地ができた
ものの、そのアメリカも撤退した後は存在価値が急速に下がり、
ほとんどの施設を閉鎖することになりました。
有効利用の声もあったようですが、軍事上の理由から完全に破壊
され、まったく使えない状態にされたのです。しかし、現在まだ実際
に研究が行なわれている施設がごく一部残っているため、この地域
への出入りは厳重な規制が敷かれています。
ロケット打ち上げ場跡へ行く道路の入り口には銃を構えた兵士が
立っており、許可証を調べ、バスの乗客の人数を確認した上で
ようやくゲートが開きました。
そこからはるかかなたに点のように何かが立っている場所まで
30分ほどかかったでしょうか、近づくとそれがロケット発射台で
あることがわかりました。形が残っているのはここだけだそうです。
左側の小さな発射台は日本が打ち上げに使ったものです。
この下に大きな地下室があって、そこに大型の発電機や機器類が
設置されていました。しかし、どれもすべて破壊されており、床の
上には一面にカンガルーの糞が散らばっていました。
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